忘れないから・・
単に体力の衰えかと思ってた。
ごめんねペロ。
気付いてあげられなくて。
29日の朝、何をいいたかったんだろう。
ねてる私の枕もとにやってきて
何かニャーニャー鳴いて。
そのときまでは立っていた。
外に行きたいのかな、と思ってドアを開けてもいかない。
おなかすいたのかな、と思ってえさをやるんだけど食べない。
まだ5時ごろだったのでそのまま私は寝てしまった。
朝起きると、リビングで丸まってねてた。
それから急激に具合が悪くなった。
四肢を力なくのばして丸まることもなく横たわって動かない。
さむいからなのか、とそれから急にペロを暖めた。
この日はなんとかヨロヨロとおきあがろうとはしていたんだけど、後ろ足が動かない……
翌日になっても元気にならないので
近くの動物病院につれていった。
そのときの様子は30日の日記に書いた通り。
それから2日まで毎日病院につれていって、
リンゲル液と栄養剤と抗生物質の注射をしてもらってました。
2日は今まで32度台だった体温が35度まであがり、1日と2日は朝には普通の声で鳴いていて、2日は病院ではしっぽも振っていたのでよくなるかな……と思っていたんだけど……
昨日、3日の午後3時過ぎ、おしっこをしたあとで動かなくなった。
うそでしょ?今の今まで目を覚ましておしっこしたじゃない?
ママが「ペロ〜おしっこしたんだねえ、ちょっとまってねえ〜」っていったときはお目目をあけていたじゃない?
横にさせてあげて私がすこし目を離していたら
2号が
「ペロ動かないよ?動いてないよ?」と。
「は?」と思ってペロのところにもどると
呼吸をしていない。
あわてて病院に連れて行った。
「心臓が止まってますね……」と
先生が心臓マッサージをしてくださったんだけど……
「瞳孔が開いてますね……」
「昨日は体温もあがったので持ち直してくれるかと思ったのですが……」
「よくがんばってくれてましたけど……もう、自力で蘇生は無理だと思います。眠らせてあげたほうがいいと思いますよ……」と……。
生きて、動いてるペロとはソレが最後だった。
動物病院の先生がたには感謝しています。
ほっておいたら30日の時点で死んでいた。
30日の日記には書いたように
「このままの状態だと数時間後には亡くなります」と言われたの。
そんな状態だったペロと一緒にお正月を過ごせてよかった。
「先生方のお陰で、少しでも長く一緒にいられました、ありがとうございました」と先生に深々と頭を下げた。
2号の前だったけどビービーないてしまった。
「よくがんばってくれたと思いますよ……」と先生もおっしゃって。
動物斎場の案内ももらって……
ペロを家に連れて帰りました。
動物斎場に電話して
4日につれていくことに。
Rが帰ってきてから報告しようかどうか迷ったけど
やっぱり仕事の暇な時間に電話した。
「ペロ、だめだった……」
いつも私に悪態ばかりつくRが
「ホントや?」とそれだけ。
「ごめんね、いろいろしてくれたのに……」
Rは、年末年始の物入りのときに、ペロの病院代を工面してくれたのです。
普段は口の悪いRだけど、何もいわないでいてくれた。
なんだか昨日はもうそのまま起きていられなくて、ひとり布団にはいった。
寝たけど、ひとりでいるとペロのこと思い出して泣いてしまう……
Rが帰ってきたけど、Rが子どもたちに
「エネルギー不変の法則って物理でならったろ?ペロの体の細胞の動きは止まったけど、生命エネルギーはまだ残ってるんだよ。そのエネルギーがまたどこかで使われる。また猫になるかもしれないし、人間になるかもしれないし。だからペロの生命はいきつづけてるんだよ」と言ってるのが聞こえる。
ありがとうR、アナタだって猫好きなはずなのに……
ペロをいじめて?いたのはペロをスキだったからって私たちは知ってるよ。
きのうのことは、ここまで。
本日・4日。
ペロをペット斎場につれていきました。
係のお姉さんに「骨壷はこのサイズになるんですが……」といわれて
指差されたのは3号という小ささ。
こんなちっこくなっちゃうんだなあ……
と思ったら人前も憚らずまた涙腺が。
あとはもう子ども達にまかせてしまった。
そして火葬。
子ども達にとって近しい人の葬儀って私の祖母と姑くらいしかないんだけど2号は生まれてなくて、1号も3歳くらいだったから覚えてない。
だから実質家族同然に毎日暮らしていたペロのお骨を拾うのがはじめての葬儀。
なんかもうここからあとは今の段階では言葉にならないので
また思い出しつつ書きますが
お骨を引き取って帰ってきました。
だけどいなくなったわけではなくて
私たちが忘れない限りペロはいなくならない。
いつでも思い出せるから。
今はただ眠っててね。ペロ。