金剛屑石

アマチュアシンガー・ライター・絵本パフォーマー「金色の女将」の徒然なブログ。絵本についてはこちらに特化したブログあり。http://blog.livedoor.jp/sophia727/

おかあさんのせいきゅう書


今日は息子1号が体調不良でお休み。
こんなとき思い出すのは、小学校のときの道徳の副読本に掲載されていた
「おかあさんのせいきゅう書」
子供が母親にお手伝いなどについて
「おかあさんへのせいきゅう書」として
○お使い代―100円
○おそうじ代―200円
○るすばん代―200円
合計…500円
を請求したというお話です。
母親はその金額を渡したあと、

「たかしさんへのせいきゅう書」として
○親切にしてあげた代―0円
○病気をしたときのかん病代―0円
○洋服やくつやおもちゃ代―0円
○食事代と部屋代―0円
  合計―0円

を出したという話。
これをみて子供は自分の身勝手さを泣いて反省したというオチつきですが……
元ネタはこちららしい
子供時代、これをみてなんだか理不尽なものを感じましたが、オトナになって母親になってもなんかこの母親の傲慢さを感じたんだけど、そんなのは私だけ??


私の両親は職人だったので、家の手伝いはそりゃーやらされました。
子供が家の仕事をする=両親の仕事がはかどるという図式だったかも。
親の仕事で、家族総掛かりでする仕事があったのですが、そのときは子供でも親の仕事に関われたことはとてもいい経験だったと思うし、お駄賃までもらえてたので一人前の気分になっていたものです(笑)
「自分以外の事に関わってその本来関わるべき人をラクにさせてあげることによって報酬をもらうこと」そのものはそんなに責められるものなのか?と私は思うのです。


私も家で仕事をしていますから、子供たちに手伝わせていることが多々あります。
お手伝いの作業の程度に応じて報酬(お小遣い)を渡すこともあります。
だってその分私の仕事がはかどるんですもの。
今流行り?のコトバでいうところの「等価交換」かなと。


この「たかしさんへのせいきゅう書」のどこがむかつくかというと
「○親切にしてあげた代=0円」ですね。どこかのファストフードの「smile=0円じゃあるまいし、親が子供に親切にしてあげるのは当然でしょう?
無償の愛というかさ。それにわざわざ「0円」とつけるあたりがこの母親のなんというか、親としての傲慢さを感じる所以なんですよ。
洋服や靴は子供の身だしなみだから親がしてやるのは当然、あとは「おもちゃ」に関してはウチは誕生日・クリスマスなどのイベント以外は「なにかに頑張ったご褒美」あるいは「毎日のお小遣い○日分と等価交換」ですもの(笑)


それをいったら「子供が親の手伝いをするのは当たり前」といわれるかもしれないけど、「自分の時間と労力を報酬というカタチで還元する」ことはまず家庭で教えなければいけないのでは?とも思う。そんなことが不十分だからニートが発生するのではないだろうかとも穿った見方までしてしまいますよ私。


いろいろ調べるとこれを道徳の教材として採用したのは「勤労・奉仕・家族愛」がテーマらしい。
でも、「勤労」なら「報酬」と表裏一体ではないかなと。
なんでもかんでもお金でかたづけることも問題だとは思うけど「勤労」については「正当な報酬」が発生するとは思います。


この件についてはどこかで言いたかったので、賛否両論あるでしょうが、これが私の持論です。
息子1号がお休みしたのでふと思い出しました。


だってそうでしょう、子供が熱だして苦しそうにしているときに普段は無宗教な私が
「神様、この子の熱を私に移して下さい、私はオトナだから我慢します、我慢できます。でもこの子はこんなに小さくてかわいそうです、こんな苦しい姿を見るくらいなら私がいくらでも代わってあげます、お願いですからこの子の熱を私に移してください」なんて殊勝にも神様にお願いしてるのに「かん病代0円」なんてこと思いもしないですよ?
そういうことを思いつくこと自体があざといよ。


この話、いつまで教科書(副読本)に載るんだろう。
私が小学生のときも載っていたし、息子2号も知ってると言った……。
一般的には「いい話」らしいんだよねぇ、私ってひねくれモノなのかなー(爆)